20代後半。
社会人として働き始めてから、気がつけばずいぶんと時間が経った。
学生の頃にも、働くことは大変なのだろうと思っていたけれど、実際に社会に出てみると、想像していたものとは少し違う大変さがあった。
決められた時間に起きて、仕事へ向かう。
思うように進まないことがあっても、簡単に投げ出すことはできない。
自分一人では完結しない仕事も多く、周囲との関係や責任について考える場面も増えた。
”働く”というのは、やはり大変だ。
日々、そのことを実感する。
ただ、大変なことばかりではない。
仕事を通じて誰かの役に立てたと感じる瞬間、できなかったことが少しずつできるようになったりと
喜びをを感じる場面もある。
そして、社会人になって一番大きく変わったのは、人生における自由度が広がったことだと思う。
自分で選べることが増えた
働いて得たお金の範囲内であれば、自分の意思でさまざまなことを選ぶことができる。
例えば、
・行ってみたい場所へ出かける
・気になっていた道具を買う
・新しいことを始めてみる
・自分で何かを作ってみる
もちろん、時間にもお金にも限りはある。
それでも、自分で考え、自分で選び、自分で行動できる範囲は、学生の頃よりも確実に広がったと思う。
少し遠くへ出かけることもできるし、これまで触れたことのなかった分野に挑戦することもできる。
興味を持ったことを調べ、必要なものをそろえ、実際に試してみる。
そう考えると、自由の幅は思っている以上に広い。
社会人になることは、何かを失うことばかりではない。
自分の選択に責任を持つ代わりに、自分の人生を自分で動かせるようになることでもあるのだと思う。
このまま同じ日々でよいのだろうか
そんなことを感じながら、あるとき少しだけ自分自身を俯瞰して見てみた。
今の生活に大きな不満があるわけではない。
仕事があり、日々の生活があり、人とのつながりもある。
特別に何かを大きく変えたいわけでもない。
それでも、ときどき心の中に浮かぶ疑問がある。
自分は、この先どのように進んでいくのだろうか。
このままずっと、似たような日々を繰り返していくのだろうか。
来年も、その次の年も、同じ場所で同じようなことを考えているのだろうか。
10代から20代になる頃には、今のような感覚はなかったように思う。
もちろん、その頃に何を考えていたのか、はっきりと覚えているわけではない。
ただ、当時はもっと単純に、時間が先へ進んでいくものだと思っていた。
学校を卒業し、働き始めれば、自然に次の何かがやってくるはず。
どこかに、自分の進むべき道が用意されていると。
そんな感覚があったのかもしれない。
しかし実際には、社会人になった後の人生には、学校の時間割のようなものはない。
卒業式もなければ、次の学年も決められていない。
自分で動かなければ、昨日と似た一日を今日も過ごすことになる。
それは安定とも言えるし、安心できることでもある。
一方で、同じ場所にとどまり続けているような、不思議な感覚を覚えることもある。
進んだ道が、いつか答えになる
では、自分が抱えている疑問に対する答えは何なのだろうか。
どの道を選べば正解なのか。
何を始めれば人生が変わるのか。
この先、何を目指して進めばよいのか。
考えてみても、明確な答えは出てこない。
おそらく、答えは一つではないのだと思う。
最初から正解の道が用意されているのではなく、自分が選び、進んだ道が、後になって答えになっていく。
うまくいった経験だけでなく、失敗した経験や途中でやめたことも含めて、自分の歩いてきた道になる。
とはいえ、これから自分がどのように進んでいくのかは分からない。
未来について考え続けても、確かな答えが出るとは限らないし、まだ起きていないことを想像して不安になっても、できることが急に増えるわけではない。そんなのは時間の無駄だ。
そして、結局のところ自分の幅を広げられるのは、実際にやってみたことだけなのだと思う。
考えることも必要。
だけど、考えるだけでは景色は変わらない。
分からないなりに手を動かし、小さくても一歩進んでみる。
その積み重ねによって、少しずつ次の選択肢が見えてくるのではないだろうか。
できることの幅は増やせる
今の自分にできることには限りがある。
知識が足りないこともあれば、技術が足りないこともある。
経験したことのない分野には、最初の一歩を踏み出しにくい。
それでも、今できないことが、これからもずっとできないとは限らない。
できることの幅は増やせる。
そのためには、さまざまなことに挑戦してみる必要がある。
すでにできることを、もう少し深く掘り下げてみる。
まだできないことを、分からないなりに試してみる。
気になった場所へ行ってみる。
自分の手で何かを作ってみる。
失敗した理由を考え、もう一度やり直してみる。
挑戦というと、大きな決断や特別な行動を想像してしまう。
けれど、本当はもっと小さなことでよいのだと思う。
新しいソフトを触ってみる。
使ったことのない道具を試してみる。
写真を撮る。
文章を書く。
知らない場所へ出かける。
そうした小さな経験も、自分の世界を少しずつ広げてくれる。
一つ一つは大きな変化ではないかもしれない。
しかし、数年後に振り返ったとき、それらが点ではなく線としてつながっている可能性がある。
その線を残すために、記録する場所が欲しいと思った。
結果だけでなく、過程を残したい
話しを少し変えてみる。
最近では、生成AIをはじめとする技術が急速に発達している。
分からないことを質問すれば、すぐに答えが返ってくる。
文章も書けるし、画像も作れる。なんならプログラムのコードも生成できる。
これまで多くの時間をかけて調べていたことも、短い時間で概要をつかめるようになった。
現在はネットワークへの接続が必要なことも多いが、いずれはスマートフォンの中だけで、さまざまな答えを得られるようになるのだろう。
そうして大体のことには、すぐに解が示される時代になっていくのだと思う。
それはとても便利なことだし、自分自身も、日々その便利さに助けられている。
ただ、それでも残り続けるものがあると思う。
・自分で作ってみて、初めて動いたときの満足感。
・思っていた通りに動かず、何度もやり直した時間。
・旅先で見た景色や、そのときに感じた空気。
・失敗したときの悔しさや、解決できた瞬間の安心感。
こうした感覚は、検索してもなかなか出てこない。
同じことに挑戦した人の記事を読めば、参考になる情報は見つかる。
しかし、その人が何を考えていて、どこで迷ったのか。なぜその選択をしたのかまでは、記録されていないことも多い。
生成AIは、最終的な答えや効率のよい方法を提示することは得意だけど、
その途中で感じたことや発見、失敗したときの感情までは残してくれない。
結果だけを見れば、遠回りや失敗は不要に見えるかもしれない。
だけど、そんな無駄かもしれないと思う時間も自分にとっては過程として過ごした時間。
本当に大切なのは、その遠回りの中で何を感じ、何を身につけたかという部分なのだと思う。
だから、完成したものだけでなく、そこへ至るまでの過程も残しておきたい。
未来の自分が振り返るために
そんな風に感じているから、何か一つの分野だけ絞って記事を書くつもりはない。
自分がすでにできること。
まだできないけれど、やってみたこと。
作ったもの、失敗したこと、行った場所、そのときに考えていたこと。
日々の中で気になったことを、そのときの言葉で記録していきたいと思う。
すべての記事が、誰かの役に立つとは限らない。
きれいに結論が出ないこともあると思う。
途中まで進めて、そのまま終わってしまうこともあるかもしれない。
それでも構わないと思う。
正しい答えを並べるためだけのブロブではなく、自分が何に興味を持ち、何を考え、どのように行動したのかを残す。
今の自分には小さく見える出来事でも、数年後の自分にとっては大切な記録になっているかもしれない。
過去の記事を読み返したとき、
「あの頃は、こんなことで悩んでいたのか」
「ここから少しずつできるようになったのか」
「この経験が、今につながっているのか」
そんなふうに、自分の変化を確かめられたら、なんだかドラマティックだと思う。
人は日々少しずつ変化している。
けれど、その変化はあまりにも小さく、自分では気づきにくい。
記録を残しておけば、目には見えなかった変化を、後から見つけることができる。
わたしがブログを始める意味
自分は、この先どのように進んでいくのだろうか。
その疑問に対する答えは、今も分からない。
おそらく、これからも簡単には見つからないと思う。
けれど、答えが分からないからこそ、まずはできることを増やしていきたい。
興味を持ったことに挑戦し、失敗し、考え、また試してみる。
その過程を記録しながら、自分が進んできた道を残していく。
いつか振り返ったときに、このブログに書かれた記事が、自分の歩いてきた道を示してくれるかもしれない。
未来の自分がどこにいるのかは分からない。今とはまったく違うことをしているかもしれないし、それほど変わっていないかもしれない。
それでも、この時期に何を考え、何を始めようとしていたのかは残しておきたい。
答えを見つけるためではなく、答えになっていく過程を残すために。
だから、地道にブログを書いていこうと思う。


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